涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)

今年は芸能界を中心に、薬物や不倫など世間を賑わす事件がたくさんありました。

そういった事件があると、ここぞとばかりに批判をする人たちが一定数います。

こういった人たちはネット上に批判の文章を書くという暇があると同時に、

日頃の生活において不平不満が溜まりまくっているのだと思います。

その原因は様々で、会社でのストレスかもしれないですし、夫婦間でのストレスかもしれません。

はたまた孤独感によるストレスとかもあるでしょうし、それ以外にもたくさんあると思います。

又、私はよくカフェに行くのですが、ここでも不平不満を言っている人はたくさんいます。

中には、かなり追い込まれたように、愚痴を言ったりしている人も見かけます。

ただ、どれだけ愚痴や不平不満を言っていたとしても、その現状を変えようとアクションを起こさない以上現状は当然変わりません。

にもかかわらず、年中同じような悩みを抱え、不平不満を言って過ごす人がもの凄く多いものです。

一番酷なのは、そういう事を聞かされている友達なり家族だろうなと思います。

かなりドライな考え方かもしれませんが、現状にもの凄く不満を感じ、不平不満を言っている人というのは、

実は、消極的な選択ではあれど現状に満足しているのです。

なぜならば、本当に不満であれば、それを変えようとアクションを起こすはずだからです。

アクションを起こさないというのは、大変な思いをしたくないとか、どうなるか分からないので恐いなどの理由で、

不満はあれど、ある程度予期出来て、こなせる現状に消極的ながらも満足しているのです。

どんな人であれ、不満なんて探そうと思えばいくらでも探せると思います。

その中で、幸せな人とそうでない人がいるのは、何が違うかというと心の持ち用だけだと思っています。

私は宗教派ではありませんが、仏教の教えで「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」という言葉があります。

これは、厳しい鍛錬を人生をかけて行い、徳を積んだお坊さんが最終的に目指す悟りの境地を示す言葉です。

仏教に限らず、あらゆる宗教は「どうしたらみんなが幸せになれるのか」を追求します。

しかし、世の中は自分の思い通りにならないことばかりです。

そんなとき、人は自分以外のものに原因を求め、不満になり、怒りを抱きます。

仏教では、こうした怒りは全て、自分の心が生み出していると考えます。

その原因となっているのが、疑い、誤ったものの見方、プライドや誇り、欲望などの「煩悩」です。

こうした煩悩を消し去り、安らかな心をもって生きることこそ「涅槃寂静」、つまり”さとり”の境地なのです。

西遊記の話で、三蔵法師が、インドの天竺に向かって仲間と共に旅をするという話がありますが、

その中ではたくさんの苦難があります。

しかし、それを乗り越えてでもみんなが幸せになれる方法を求めて旅をするのですが、

最終的にたくさんの経典を持ち帰り広めた事で有名となった三蔵法師ですが、その答えが結局「心」なのです。

ゆえに、人生を幸せに生きるという事を考えると、「心を豊かにする」という事以外答えはないと思っています。

だとすれば、他人に不満の原因を持っている内は絶対に幸せにはなれず、

全ての不平不満の原因は自分にあると考え、鍛錬し、行動し、徳を積んでいく事が結局幸せだと考えます。

少し仏教の言葉などを用いて堅い文章になってしまいましたが、

今日言いたかった事は、人生好転させるのも暗転させるのも自分の「心」次第なので、

怠け心や言い訳、愚痴など負の感情は色々とあると思いますが、それをも考える暇がないぐらい一心不乱に仕事等に打ち込める事が結局幸せだったりします。

とりあえずの成功が経済的成功だとすれば、幸せになるためにやるべき事はビジネスや投資にひたすら打ち込むだけともう決まっているのです。

その過程で自分の心が豊かになると、周りの人にもやさしく出来たり、配慮する頭が持てたりと人生がどんどん好転していくと考えています。

だからこそ、個人的には色々な事にどんどん挑戦し、他人を気にする暇がないくらい毎日忙しく仕事をしています。

冷静に考えると目指す経済的成功が出来ない確率だってある訳です。

しかし、そんなマイナスな事を考えても仕方がなく、とりあえず目の前の目標に向かってひたすら自分を追い込み、考え抜き、やり抜く。

ただ、それだけです。が、毎日非常に充実しています。

こういった考え方や心の持ち用が大事だと常に思っています。

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